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撮られた

私の目は視る機能を備えていない。まあ物が見えはするが,人を視る機能は付いていない。まなざしとして他者の中におかれるための目(まなざし自体はまなざさない)。人の視る機能を感知するための目。視る人を(ハンター風にではなくアリジゴク風に)捕獲する罠としての目。――この記述はそのまま身体/精神について適用される。他者の中におかれるための身体/精神。他者の視線を感知するための身体/精神。罠としての身体/精神。つまりヒステリー身体/精神。身体と精神だと身体の方が知らないうちから帯電・放電していた。精神は身体のありかたに倣って,あるいは- - の精神が帯電・放電しているのに憧れて(つまり彼を真似て),こうなった。
自分の身体にも,少しずつ署名を入れていくこと。精神にそうするように。自分の身体もまた,馴染みの場所にしていくこと。まづは目。顔に二つの意味があるのと同じ仕組みで,目にも二つの意味がある。器官としての(あるいは物体,造形としての)目と,まなざし。私は自分のまなざしの力をよく分かっていない。なのでいつも帯電・放電している。目に力を持っているかを知らないので加減を知らず,常につきっぱなしになっている。目はずっと問題だ。目こそ問題のかなめ。私のヒステリックな目はヒステリー身体のミクロヴァ―ジョンだし,ヒステリー身体はヒステリー精神なのだ。身体を世界に横たえること,精神が安楽であること,そして目の力が私によく馴れよりよく力を発揮すること。そのためには減算が必要になってくる。アイ・メイクが中尾の顔の美しさを損ねるのと似ている。ここで要るのは加算でなく減算。田中裕子の巧みな演技がそうしているように,見る・視る者の注意深さを信頼し,引き算すること。政治力の発展が求められる。引き算の仕方に私の工夫の余地がある。
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姿の問題がなければ,一直線に「私は書く人だ」ということで方向は簡単だったろう(その内部で困難があるにせよ)。しかし姿のことがあるので「こいつは書いていくのだ」と自他ともに認め難いところがあろうし,その一方で姿のことがあるので,アフォリズム調子というか(自分の文にまだどういう形が見いだされるのかわからないが)型崩れした様子の文体・形式を維持しているともいえる。つまり姿が書くことを阻んでいるとも守っているともいえる。
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可愛い服や綺麗な装いを着たい・したいが、日常で(自分で)するには負荷が重たいので仕事でやるのがいい。
そう,女性でも服装についてのことが面倒で楽にしたい人は少なくないが,私は単に楽にしたいだけでなく可愛いくも綺麗にもしたい。なので「毎日決まった型の服装をすること」,「綺麗にするのを放棄すること」では解決にならない。しかし装いなんかに頭を使ってもしかたないんじゃ……という気も一方でたいへんにする(装いに限らず自分自身のことについて考えるというのが最もつまらなく面倒くさい)。なので解決は他人に装わせるよう策略することだろう。たとえば頭髪は私の気持ち的には完全に土川さんの管轄下にあり,彼がよくしてくれるのに従うと自分でなにもせずともよい状態である。ただし誰にでも好き勝手させるわけにはいかない。私なりの解決は「人にうまく身をゆだねていくこと」,というところか。
 
自分について考えるのが最もつまらないけれども,自分がモデルをする必然性を努めて見出すこと。――「モデルだ」なんて言っていいのか?いい。まづはそれこそ装うこと。案外人はそれがたんなる装いだと気がつきませんから―― そしておそらく実際にある程度の必然性があるはずだ。
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でも、やっぱりそうだ。偶然で、糸くずの集まりのようなもので、必然性を見出すのだ。二人で論を分担できるの、嬉しいな。それで一つのことを言っているんだね。
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たとえば被服のことは母がもし上京したら頼めばいいのではないか?
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わたしの世界では,八木橋さんが一番笑っている。母も笑っているのがある。彼女たちの写真を載せたい。でも,なんか,まだ,載せていい?って頼めない。自分の笑ってる顔がゆるせないから。
追記:というか、わたしはみんなと一緒には笑わないのだ。ひとりでは笑うが。
追追記:別なふうに言えば、笑顔という表情は、あるいは表情一般は美的じゃないよね。美的なものはこちらに向けて語りかけずそれ自体として在るが、表情は「してみせる」ものだから。表情の「してみせる」性を無表情に適用し、「してみせる無表情」をつくることもできるが。(するとその無表情は美的でありえなくなる)
概してしてみせることは美しくない。
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¨¨¨以下整理中¨¨¨
立石オメガ泰三
立石オメガ泰三
立石オメガ泰三
立石オメガ泰三
オメガ君はたたずまいで私を捉えているな。
 
ところで,意外に知られていないけれど私にはデコルテから下にも身体が付いている。
 
 
書き始めたらけっこういっぱい喋りたくなってきた。これは嶌村さんと。
 
変なの。彼は変なの撮るから好きだ。冒頭の後頭部の写真も彼で,「今!」じゃないときを撮るのだそうだ。そうだね。でもそれで,彼はどこにいるんだろう?って思う。他人のテキストを述べるときデリダはどこにいるの?ドゥルーズはどこにいるの?